ウルワツ寺院は、インドネシア・バリ島のバドゥン半島南西端の海岸沿いに位置する寺院で、海の霊がまつられています。11世紀にジャワの僧ウンプ・クトゥランによって建立され、16世紀に高僧ダン・ヒャン・ニラルタが増築を行ったとされる重要な寺院です。晩年のニラルタはウルワツに隠遁し、解脱に達したといわれています。 ※夕方からの時間帯はケチャダンス見学や夕日を見に来る旅行客が増えますので大変込み合います。 ※寺院の駐車場などにお猿さんがたくさんいます。バック・帽子・カメラなどにちょっかいを出しますので十分注意が必要です。 |
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タナロット寺院は、インドネシア・バリ島中西部の海岸にある寺院でバリ六大寺院のひとつです。干潮時には陸続きとなり、歩いて渡ることができます。夕暮れ時には美しいシルエットを形成し、多数の観光客が訪れています。エルニーニョ現象による海面の上昇などが原因で、海岸の浸食が進んでいましたが、日本のODAによる景観を再生するプロジェクトが行われています。名前の由来は、真ん中の土地という意味のトゥンガ・ロットが変化したものといわれています。また、通称ロックテンプルとも呼ばれています。 ※夕方からの時間帯は夕日を見に来る旅行客が増えますので大変込み合います。 |
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タマンアユンアユン寺院はとても美しい庭園に囲まれたお寺で、バリ島では最も美しい庭園としてみんなに知られています。タマンアユン寺院のバリの名前は、「水の庭寺」を意味します。1634年に国の寺としてバリを悪霊から保護する意味合いでこのお寺を建てられました。一時は老朽化が進んでいましたが、現在は修復され美しい姿を誇っています。ウブドやデンパサールから約18Kmの場所にあります。 |
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ティルタエンプル寺院は、バリ島やインドネシア全土からヒンドゥー教の人々が清め神に祈りをささげるため来る聖なる水の中が湧き出るのヒンズー教寺院です。人々はお寺にお参りをする前に神木に祈りをささげたのち聖水で身も心も清めます。 |
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この上の写真4枚は、私がこのお寺を訪れた際に撮影した写真に偶然写りこんでしまった”神様”の写真です。左から順番に写した写真ですが、1枚目と4枚目には何も映っていません。このお寺の方にこの写真を見せるととても驚いた様子で、「私たちを祝福しに来てくれた」と喜んでおられました。(決して合成写真とかではありません) |
このお寺は、ブドゥグルの近くの山のブラタン湖のほとりにあり、1663年にブラタン湖を守るために建てられました。また、この湖の水は田園の水源として重要視されておりこの地域にはなくてはならない水の供給源となってます。ゆえにこのお寺は水寺とも呼ばれています。 |
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この寺院は、ウブドから約20分位に位置し、バリ島の中でも美しい寺院として知られています。このお寺は山間の谷間に建てられており、自然豊かな緑多き寺院として有名です。谷間にあることから、入り口から寺院にたどり着くまでは、石の階段を延々と下り15分ほどでやっとたどり着きます。寺院のすぐわきには川が流れており、この川で体を清めていく地元の人もいます。 |
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ブサキ寺院(Pura Besakih)は、インドネシア・バリ島にあるバリ・ヒンドゥー教総本山の寺院です。アグン山の中腹に位置しており、30余の寺院の集合体です。 |
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ゴア・ガジャは1923年にヨーロッパ人によって発見された遺跡で、11世紀頃に造られたと思われています。ゴア・ガジャは空港から車で1時間半ほどの場所にあり、ウブドからだと車で約10分位の場所に位置する遺跡です。ゴア・ガジャは、“象の遺跡”という意味のようですが、バリ島には象は生息していないため、動物の象という意味だけではなく、大きいものを示す意味として、“大きな洞窟”と名付けられたとも考えられています。 |
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ゴア・ラワはバリ島で最も神聖な寺院と考えられています。チャンディダサに向かうバイパスの左手にありデンパサールから約50キロに位置しています。この地域にはいくつかの洞窟があり、ここに数千のコウモリが住み着いていたことから、ゴア・ラワと呼ばれています。現在も寺院内にある祭壇奥にある洞窟には数えきれないほどのコウモリが住み着いています。 |
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この寺院は、シンガラジャからトランベンに向かう海岸線にある寺院で、大きなお寺ではありませんが、お寺の建造物(壁や屋根)全てが石で作られているお寺です。このお寺は、空港からはかなり遠い位置にあるため観光客はあまり訪れませんが、バリ島の他の寺院とは異なる珍しい神秘的なお寺です。 |
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プナタランサシ寺院(Pura Penataran Sasih)寺院は、ウブドの北東ペジェン村にある寺院で、バリ島6大寺院の一つに数えられる由緒正しい寺院です。ただし、他の寺院のように建立者や建立された正確な時期ははっきりしておらず、謎が多い寺院でもあります。この寺院は、“ペジェンの月”と言われる伝説にまつわる大きな銅鼓が祀られている事で有名ですが、 この銅鼓は紀元前3世紀頃のものとされ、東南アジアの青銅器時代を代表する遺物です。銅鼓の直径は160cm、高さは186cmと大きなもので、青銅製の銅鼓としては世界最大で、歴史的にも非常に重要なものです。 |
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正式な名前は、プラ・ルフール・バトゥカウ寺院( Pura Luhur Batukau)です。標高2276メートルのバトゥ・カウ山の南側、標高650mの山麓に位置します。バトゥ・カウ山
(Gunung Batukau)は、アグン山(Gunung Agung)、バトゥール山(Gunung Batur)に次いでバリで3番目に高い山で、神聖な山とされています。18世紀タバナン王国(Tabanan Kingdom)が、先祖を祀るための国寺として建立しました。“西(カウ)の山”の意味と言われていますが“椰子の実の殻の山”を意味するバトゥ・カル(Batukaru)とも言われています。 |
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